長谷工シニアの住まいと介護

交流誌生活創造のM

ここでしか読めないエピソードを多数収録

失っていくことも「思い出」に」

ライフ&シニアハウスで支え合う暮らし

ハウスではご入居者の心身の変化に合わせ、1人ひとりの生活をサポートしています。そこには生活コーディネーターや介護スタッフ、そしてともに住むご入居者がいるからこそ、実現できている暮らしがあります。

ハウスにかかわる人間模様

「井草」のライフハウスにお住まいの今永敬嗣さんは、経営していた自社ビルを引き払い、2001年の開設と同時に入居されました。入居後はハウスでシネマサロンを開催したり、ご入居者を誘って外出したり、仲間の輪を取り持つムードメーカーです。

「ハウスに引っ越す前はビルに住んでおり、近所付き合いはほとんどありませんでした。私は人の先頭に立つのが好きではなく、どちらかというと内気なほう。外食も一人ではお店に入りづらいから、皆さんを誘っています。老後は社会と接する機会が減ってしまうので、ハウスで楽しめることは楽しみたい。ただ一番気を遣うのは、お誘いしたら、相手の方へのプレッシャーになってしまうのではないかということ。たとえば『今永さんが言うなら行かなきゃ』とか『後で気まずくなるのが嫌だから行かなきゃ』とは思ってほしくないですね。皆さんにはなるべく自由きままに接してもらいたいです」と話します。

孤独ではないと感じた

ハウスでは気丈に振る舞う今永さんですが、2015年5月には最愛の奥様をシニアハウスでお見送りされました。 開設以来の14年間、お2人でライフハウスにお住まいになっていた今永さんご夫婦。奥様は「最期までハウスで過ごしたい」という思いがあり、肝臓がんが再発してからは、日中はライフハウス、夜間はシニアハウスで過ごすなど、心身に合わせた生活を送っていました。その間、今永さんは手づくりの食事をシニア居室にお持ちしたり、30分かけて服薬介助をしたり、スタッフだけでは実現しきれなかったケアに協力してくださいました。その結果、奥様は亡くなる前日まで食事や会話ができ、痛みの訴えもないまま穏やかな最期を迎えられました。

その後、奥様を亡くしてからの今永さんを支えたのは、ハウスのご入居者やスタッフでした。 「妻と一緒にいた時から、シネマサロンを引き受けていたおかげで、準備に夢中になっています。私は、人につらい、悲しいといったマイナスの感情を見せたくない。私の生涯は、妻の苦労をいかに減らしてあげられるかを考えてきた日々だったので、55年間一緒に過ごしてきた妻が亡くなってからは、芯がなくなってしまった感じでした。それが、ハウスにいたおかげで孤独ではないと思ったし、皆さんとお酒を飲んだりして自分を奮い立たせることができました。食堂で食事をする一番の目的は、皆さんと顔を合わせること。その場に居合わせれば、話をしないといけない煩わしさがあるかもしれませんが、それ以上に、皆さんと一緒にいることで気が休まります。一番つらいのは布団に入った時」。

「生活創造のM 121号」では、シネマサロンでの活躍が掲載されました

大切な人を失っても、近くに人がいる安心を感じられるのは、常日頃から周りとの信頼関係を積み重ねてきたからこそ。一人ではないありがたみを肌で感じておられます。

「最期までハウスで」という望み

「ハウスに入居してからの妻との思い出は、一緒に美味しい食事をした時よりも、病院の待合室で待っていた時とか、帰りにタクシーに乗って検査結果の話をした時のほうが、はるかに印象に残っています。何より、妻と一緒に最期まで過ごせたことが一番の思い出かもしれません。

最期を迎える場所は、緩和ケアができるホスピスを考えましたが、タイミングが合わず、ハウスにお願いすることにしました。振り返ってみると、ハウスを選んで本当によかったと思っています。病院よりも日差しが入って明るいし、コールを押すと2~3人のスタッフがすぐに駆けつけてくれるのが心強かった。そんな恵まれた環境のなかで、妻の望みを叶えられたことは、本当に嬉しかったですね」。

ハウスでの関係は、ご入居者もスタッフも、その人にとっての家族にはなれません。しかし、老いや病と向き合う不安定な時期をともに過ごしているからこそ、時には家族以上の、居心地の良さや安らぎを感じるのかもしれません。

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