長谷工シニアの住まいと介護

交流誌生活創造のM

ここでしか読めないエピソードを多数収録

人生100年時代に選んだホームの暮らし

 人生100年時代の今、前期高齢者となる65歳から数えると、およそ35年もの期間が「高齢期」になります。
この人生の3分の1を、「どこで、誰と、どのように過ごすか」は、今まで以上に重要になるでしょう。
これからの高齢者住宅に求められるものは何かを探るべく、
本特集は、元気なうちから自宅を離れ、ホームでの暮らしを選択された入居者の方々に、
自己決定されるに至った価値観や、現在の生活についてお聞きしました。

関西で友人7人と1つのマンションに「友だち近居」をされてきた村田幸子さん。10年間実践してきた今だからこそ考える、終の住まい、老いの住まいについて語っていただきました。(2019年5月4日「センチュリーシティ王子」にて)

60代で「友だち近居」を開始

浦田 村田さんは、7人の友人同士で近居する暮らしを10年間続けてこられ、その様子は昨年末のNHKスペシャルで放映されましたね。近居を始めた経緯を教えていただけますか。

村田 私はNHK解説委員として、福祉の現場を多数取材してきました。そのときに感じたことは、多くの高齢者が「万一、介護が必要になったり認知症になったりしたらどうしよう」ということが頭の中を占めていて、「今、元気な自分がどう暮らしていくか」への関心が薄いということです。「すごくもったいないな」と感じていました。
 同じころ、働く女性の仲間たちとよく旅行をしていたのですが、「歳を重ねてもこんなふうに一緒に歩けたらいいわね」と話していました。お互いにまだまだ元気だけど、1人で生活していくには将来の不安もあるし、手助けしてほしいときもある。仲間同士で助け合うことでより良い暮らしが実践できるのではないかと考え、近居について本格的に話し合いを始めました。
 無理とは思いつつも、南向き、駅近、定期借地の3つを条件に探し、紆余曲折ありましたが、2007年に仲間7人で、関西で売り出していた1棟のマンションの居室をそれぞれ購入する形で近居を実現しました。半ば諦めて解散会になるはずが一転して祝賀会に。60代後半のときです。

浦田 マンションでは、サロンも開催されていますね。

村田 一緒に暮らすだけでなく、やりたかったのが社会還元でした。働き続けたなかで得たそれぞれの人脈を使って30人ぐらい入れる共有スペースで月1回サロンを開催して、勉強会や交流会を開いてきました。一度も休まずに11年目に入ります。いろいろな分野の方に来ていただいて、知識を得ることができて、参加された皆さんも喜んでくれました。

中間地点の住まいが少ない

村田 近居するうえでのルールは「お互いに助け合いはするけど介護はしない」ということ。具合が悪いときはおかずを差し入れしたり、代わりに買い物に行ったり。そんな暮らしを10年間実践してきました。

浦田 「人生100年時代」といわれるようになり、仕事をリタイアした60代以後もお元気な方が多いですが、いざというときへの不安も抱えている。その時期に対応する住宅が必要ですよね。

村田 必要に決まっていますよ!普通の住宅では、まさかのときの体調不良に応えられる安心の仕組みがない。施設は介護向けが多く、その「中間地点」に対応する共同住宅は少ないと感じます。元気だけれど社会との接点も持ちたい。自分の楽しみも持ちたい。でもまさかのときは頼れる状況がほしい。そういう「次の住まい」を一番望んでいるのに、「介護前」の住まいのバリエーションが無いし、情報が少ないと思います。

浦田 私たちが展開する自立型ホームは、介護を受ける前の「中間地点」のつもりで運営しています。入居者には管理費をお支払いいただくことで、24時間365日スタッフを配置し、いざというときの対応や精神面のサポートなどを行っています。ご入居検討の方には『生活創造のM』などで高齢期の住まいの有り様を伝えていますが、そういった努力はそれなりにコストや労力がかかるので、業界全体としては広がりにくいのではないでしょうか。

村田 一般的な入居検討者の方には介護を受ける前「中間地点」の暮らしは、イメージしにくいかもしれませんね。
 私は仲間うちで支え合う暮らしを「中間地点」として選択したわけですが、10年経ち、結果としてその住まいを手放し、生まれ育った東京の実家に戻ることにしました。一番の理由は、私自身が「東京の地に根を張った人間であった」と痛感したことです。
 関西へ引っ越しはしたものの、得体の知れないせきりょう かんを覚えました。生まれも育ちも東京で、親類縁者も東京近郊の私は、新たな土地で「寄る辺のなさ」を強く感じたのです。それは、近居する仲間がいるからといって解消される想いではありませんでした。
 これまで東京と関西を往復する生活を続けていましたが、80歳を目前に、まだ元気なうちに、東京へ戻ることを決意したのです。

地域とつながっていたい

浦田 地元を離れた後の「寄る辺のなさ」を、かつて入居者から打ち明けられたことがあります。その経験から、ホームにご入居された方には、最終的に地域住民として馴染んでいただきたいと思っています。そのお手伝いをするのが大切だと。私たちはもともと都市型のホームづくりを続けていますが、市外や県外からご入居される方も多いです。運営する私たちが地域のコミュニティに溶け込み、地元の情報を提供し、場のコーディネートをすることが必要だと思っています。

村田 例えば施設に入居した後に、それまで通っていたお稽古ごとに通い続けることが難しくなるのなら、その地域にどんな資源があるか、施設側から情報を提供してもらえたらうれしいですね。施設の中だけで生活が完結するのではなく、何かしらの形で地域とつながっていたいですから。
 それから、施設を見ていて思うのは、入居者の中にはいろいろな能力を持っている人がいるのに、それを活かさないのはもったいないということです。入居者側も報酬の有無ではなく「役に立ちたい」という気持ちのほうが強いのではないでしょうか。これだけ人手不足といわれていますし、ぜひ潜在的な能力を引き出す努力をしてほしいです。

浦田 高齢者の方々の知見を、「発信する喜び」として提供できないかなと考えています。その場をつくることが私たちの仕事なのですが、それには相当のコミュニケーション能力が必要です。
 これからの時代「高齢者」と一言で言っても、下は60代から上は100歳を越える方まで、40歳の開きがあるので、ひとくくりにすることは難しいと思っています。もともと私たちは元気なときからの住みかえを提案してきましたが、今後はよりアクティブな高齢者に何を提案するか。提供する住宅にどのような付加価値をつけていくか思案中です。

ちょっとした困りごとに対応を

村田 私としてはまだまだ元気な前期高齢者は置いておいて、ちょっと心身が弱ってきた75歳以上向けの住宅をもっと作ってほしいですね。周りを見ていても、前期高齢者の方はある程度のことは自分でまかなえるけれど、後期高齢者になると、だんだんと自分の世界が狭まって、「お金を出してお風呂掃除をしてもらおうかしら」とか、ちょっとした困りごとが増えていきます。
 「安心安全を得たいけど、自分の能力を伸ばすようなこともしたい。なにかの形で地域とかかわり、自己実現をはかりたい」。これって、私たちの年代の願いではないでしょうか。

浦田 現場からよく聞く話ですが、私たちのホームでは、比較的若いうちに入居された方が「こんなに早く入居する必要があったのかな」と思いながら生活していても、いざ体調を崩したときにスタッフのサポートを受け、「やっぱり入居してよかったな」と思ってもらえるみたいです。そのときホームに「根っこ」が生えてくるというか。

村田 それならお金を払ってもよいわ、と思います(笑)。一番望まれているのはそういったサービスではないでしょうか。
 私自身「老いの住まい」探しの岐路に立たされていて、今日はいろいろ申し上げましたが、合理的でない文句は聞き飛ばしていただいて…。

浦田 いえいえ、本日は村田さんのお話からたくさんのアイデアをいただきました。ありがとうございました。これからもサロンは続けられるとのこと。ぜひ呼んでください。「事業者側から見る高齢者住宅の上手な住まい方」などお話しいたします(笑)。

村田幸子(むらたさちこ)
福祉ジャーナリスト。1990年からNHK解説委員として高齢者・障がい者福祉を担当。以来、福祉の現場を歩く。2003年NHK退局。「福祉の基盤は住まい」という問題意識のもと、介護と住まいの関わりをテーマに講演、NHK「ラジオ深夜便」「日曜コラム」等で情報を発信している。

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